大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和47年(う)480号 判決 1972年8月08日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事吉永透作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人井上善雄作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

検察官の論旨は、法令適用の誤りを主張するもので、その要旨は、原判決は、本件公訴事実のうち、業務上過失傷害ならびに道路交通法違反(無免許運転および報告義務違反)の各訴因については、いずれもこれを有罪としたが、救護措置義務違反にかかる道路交通法違反の訴因については、被告人は、本件事故を惹起して後直ちに運転を中止して、被害者を抱え起していたところ、たまたま通りかかつたタクシーの運転手が好意的に被害者の病院搬入を申出たので、被告人において右タクシーの後部座席に被害者を運び入れた事実、ならびに右タクシー運転手が被害者を最寄りの野川病院に運び込み、同病院で被害者は遅滞なく診療を受けている事実を認定したうえ、被告人において、本件事故後被害者が運び込まれた病院に赴き、同人の負傷の程度等を確認するまでの行為には出てはいないが、被告人自らも、被害者を病院に運ぶまでのことはしているのであつて、本件交通事故による負傷者の救護措置は尽されたものというべく、被告人に対し救護措置義務違反を問いえないとして、無罪を言渡しているのである。しかしながら原判決の右判断は、道路交通法七二条一項前段の解釈適用を誤り、本件においては、いまだ被告人が同条項にいう救護措置義務を尽したとは認められないのに、これを尽したとするものであつて、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。すなわち、前示条項にいう救護措置の内容は、社会通念上負傷者を救護したと認めるに足りる相当な措置であることを要するものと解すべきところ、被告人は単に被害者を病院に運ぶため第三者のタクシーに乗車させたに止まり、この程度のことでもつては、いまだ同条項にいう救護措置を尽したものとはいえず、そしてまた、第三者のタクシー運転手が被害者を病院に運び入れ、事故後間もなく被害者が医師の診療を受けてはいるが、前示条項にいう救護措置は、原則として当該事故を引き起した車両の運転者自らが講ずべきもので、第三者が負傷者の救護に当つたからといつて、その一事をもつて、当該運転者の救護義務が消滅又は免除されるものではないから、単に第三者のタクシーに被害者を乗せただけで、その余の救護措置を第三者に委ねて、その場を立ち去つた被告人は、右条項に規定する救護措置義務を怠つたものといわざるをえない、というのである。

よつて案ずるに、原審で取調べた各証拠によると、被告人は、原動機付自転車を運転して原判示路上を走行中、自車を、同一方向に先行進行中の被害者乗車の自転車の後部荷台に接触させ、同人を自転車もろとも路上に転倒させて、同人に原判示の如き傷害を負わせる交通事故を惹起した事実、そこで被告人は直ちに運転を中止し、路上に倒れている被害者を抱き起して「大丈夫か」と声をかけているところへ、たまたま通りかかつたタクシーが停車し、同車の運転手が好意的に被告人に「(被害者を病院まで)乗せていつてやろう」と申出たので、被告人は、右運転手と協力して被害者をタクシー後部座席に乗せた事実、そして同運転手は、被告人に「野川病院に連れて行くから、お前あとから来いよ」と言い残して、被害者を乗せて病院に向け発車し、被害者を最寄りの野川病院に運び込み、同病院で被害者は事故後間もなく医師の診療を受けた事実、一方被告人は、当初は右タクシーの後を追つて病院に赴く意思がなくはなかつたが、本件の事故が自己の無免許運転中の事故で、その発覚をおそれる気持から、タクシーが被害者を病院に連れて行つてくれたことを幸いに、自らは病院に赴かず、かつまた事故の報告もせず、右タクシーが被害者を病院に向け運び去つて後間もなく、事故現場を離れて自車を押しながらそのまま自宅に帰つてしまつた事実が、それぞれ認められる。

ところで原判決は、右のような事実から、本件被害者に対する救護の措置は第三者たるタクシー運転手等によつて十分に講じられているのであり、かつ被告人自身も被害者を病院に運び入れるまでのことをしているのであるから、本件被害者に対する救護措置は尽されたものというべきである、とする。

しかしながら、道路交通法七二条一項前段において所定の運転者等に対し義務として要求するところの負傷者救護の措置なるものは、負傷者の負傷の程度、道路交通の危険発生の有無程度その他具体的状況に照らし、社会通念上負傷者を救護したと認めるに足りる適切妥当な措置たることを要するものと解すべく、本件についてみるに、本件被害者の負傷の部位程度は、加療約三時間を要する右第二、第三肋骨の骨折という重傷であり、しかも事故直後において被害者は、路上に転倒して自力では起き上がれない状態であつたのみならず、脇腹を押えて被告人に苦痛を訴える状況であつたことが認められるのであつて、本件において前示条項にいう負傷者に対する救護措置義務が尽されたものといいうるためには、少なくとも、被害者を病院等に運び入れ、現実に医師の診療を受けさせるまでの措置を講ずることを要すると解せられるのである。しかるに被告人は、前示のように、たまたま通りかかつたタクシーの運転手から好意的に被害者を病院まで連れていつてやろうかとの申出を受けたのをよいことに、被害者を右タクシーに乗せる行為をしたのみで、タクシーの運転手から後から病院に来るようにいわれていたのに、自己の犯行の発覚をおそれるの余り、爾余の措置をなんら講ずることなく、事故現場からそのまま自宅に立ち帰つているのであり、被告人が本件被害者に対してなした救護措置としては、単に被害者を抱き起し、好意的に被害者の病院への搬入を申出ている第三者のタクシーに被害者を乗り込ませただけのことに止まるのであつて、被告人自身において本件被害者の救護につき適切十分なる措置を講じたものとは到底認め難いところである。もつとも、偶然事故現場に通り合わせたタクシーの運転手において被害者を最寄の野川病院に運び込み、同病院で被害者が事故後間もなく、医師の診療を受けていることは、前に認定したとおりであるが、前示条項に規定する負傷者救護の措置義務は交通事故を惹起した車両の運転者等に課せられたものであつて、当該運転者が死亡又は負傷等の事由で右措置をとることができない場合とか同条四項で規定する特別の場合を除いて、当該運転者自身の責任において遂行すべきものというべく、第三者によつて救護の措置がなされたからといつて、当該運転者自身の救護義務が消滅し或は免除されると解するのは相当でない。ところで前示タクシー運転手は、被告人の代行者としてではなく、純然たる第三者の立場において、好意的に自ら進んで被害者の救護に当つたものであり、かつ同人としては、被告人が後から病院にかけつけて自ら被害者救護の措置に当ることは予期していたものと認められるのであつて、右タクシー運転手の行為は被告人自身の行為と同一視して、それをもつて被告人が救護義務を尽したものとは認め難く、そしてまた、本件において、被告人はなんら負傷しておらず被告人自らが直ちに被害者に対する適切な救護の措置を講じえないような格段の事由が存したことも、これは認め難いところである。

以上のとおり、被告人は、道路交通法七二条一項前段に規定する負傷者救護の措置義務は怠つたものと断じざるをえず、右義務違反の点なしとして、被告人を無罪とした原判決は、前示条項の解釈適用を誤つたものというべきであり、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この点において、原判決は到底破棄を免れず、検察官の論旨は理由がある。

ところで、本件公訴事実のうち、原判決が有罪と認定した業務上過失傷害ならびに道路交通法違反(無免許運転および報告義務違反)の部分については、その事実認定その他になんら瑕疵の点はないが、それらは、原審において右救護措置義務違反にかかる道路交通法違反の事件と併合審理され、かつそれらは併合罪の関係にあるから、当審においても併合審判し、一個の刑をもつて処断するのを相当とするので、原判決中の右有罪部分についてもこれを破棄すべきものとする。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により、原判決全部を破棄し、同法四〇〇条但書により、さらに当裁判所において次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)<省略>

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)<省略>

(戸田勝 家村繁治 野間洋之助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例